[197] 「ほどよい」残業1カ月で15時間 30年で5時間短縮(日経新聞)

シチズン時計(東京都)が会社員を対象に行った時間感覚の調査で、男性がほどよいと感じる1カ月の残業時間は15時間5分で、1989年の前回調査と比べ約5時間半短くなったことが分かった。」H30.12.5水 日経夕刊12面 社会

『「ほどよい」残業』という言葉は、なんとも味わい深い言葉だと思います。

わたしは20代のころ、製造業の会社で工場勤務をしていた経験があります。そこではラインの速さや製造予定が毎日決まっており、当日に残業があるかないかは朝礼のときに職長が宣言をする仕組みになっていました。

「本日残業1時間!」

こんな感じでした。残業がある日も定時の日もラインに配置された社員は一斉に退勤する働き方になっており、とても規律正しくかつ潔く機械を停止して、製造フロアーを後にしていました。

そのあとに工場の大浴場で汗を流した後、購買でアイスを買って食べるのがなによりも楽しみでした…

それがデスクワークの仕事になり、社会人としてもこなれてくるようになると、気が付くと事務所フロアーの最後のひとりになっていたという経験がなんどもありました。

終電までには帰りたい…と思いつつ、しくしくと仕事に取り組んでいたのですが、工場の職長みたく「残業7時間!午前0時退勤!」と言われた覚えは一度もありません。

そこまで遅くならなくとも、なんとなくだらだらとしていて気が付くと19時だったということはざらにありました。

朝礼のときに指示を受けた覚えどころか、残業を指示された覚えはありません。

いまは社労士になりましたので「それ、ダメなやつです!」とご指導をする立場になってはいるのですが、このようなことが全国各地のたくさんの会社で繰り広げられているのだと思います。

そのようなことを思い出していると『「ほどよい」残業』という言葉が、なんと!味わい深い言葉だと思われ始めたのです。

なぜなら…

「ほどよい」という限りは、残業をする社員としても「やってもいいですよ!」という気持ちがあるのだと思うからです。

その理由は、残業代がほしいからなのか、家に帰りたくない事情があるのか、仕事がだいすきなのか…そこのところはわかりませんが、なんらかの動機が社員の側にあることを思わせる言葉です。

家族だんらんの理想的な時間は伸び、バブル経済真っただ中だった約30年前と比べ、家族と過ごす時間を重視する風潮が強まっているといえそうだ。」同記事

どことなく「仕事(残業含む)vs 家族だんらん」というトレードオフの構造を前提としたような書きっぷりです。

仕事(残業含む)=食っていくためにやりたくないけどやっている。
家族団らん=善

このような前提で語られているならば、すこし残念な気がします。

先日NHKである外国のベストセラーの本を紹介していました。

“Ikigai : The Japanese secret to a long and happy life“

この本は残念ながら日本語訳はまだ出版されていないようですが、日本人の「生きがい」について書かれている本だということです。

わたしもまだ読んではいませんが、NHKの放送によると「生きがい」とは、① 好きなことをすること ② 得意なことをすること ③ それが社会の役に立っていること ④ それで収入を得ていること この4つが重なり合ったところに「生きがい」があるということを言っていました。

この①②③はエドガー・ヘンリー・シャインといいうアメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)スローン校の経済学部の名誉教授が「キャリアとは?」という問いに対するアンサーとして準備したものと同じです。

わたしが興味をもったのは、そのシャインの「3つの問い」にさらに「④ それで収入をえていること」が加えられていたところです。

収入はすなわち生活を成立させる源泉ですから当然大切な要素なわけですが、④だけを切り離すことなく、①②③と一体になったものを想定することこそが「生きがい」につながる重要な条件だということです。

たとえば「葉っぱビジネス」を営んでいる高齢者は①②③④のすべてのランプが点灯しているのかもしれません。

仕事や生活や時間管理は「vs」の構造ではなく、一体のものとして「ほどよく」なってほしい!

だれもがそう思いつつ、もっとも難しい道なのかもしれません。

2018年12月18日